Japanese

Issue 1, Spring 2024 – Photography & Interview

デパートメント H*

Joshua Gordon

ゴッホ今泉

Interview: Lisa Tanimura

毎月第1土曜、酔客もまばらな終電後、静寂に包まれた鶯谷駅前に突如として長蛇の列が現れる。どこか異様な雰囲気を醸し出しているその行列には、20cm近いハイヒールを履いた人もいれば、色鮮やかなウィッグを被った人もいる。彼らが吸い込まれて行く先は豪華絢爛な元グランドキャバレー、東京キネマ倶楽部で行われている”変態パーティー”、『デパートメントH』だ。

一歩中に足を踏み入れれば、そこには日常の軛から解き放たれた人々が繰り広げるカオスが広がっている。「お酒や踊りの苦手な人のためのコミュニケーションサロン」という触れ込みのこのパーティーには、ドラァグクィーン、BDSMや身体改造の愛好家たち、着ぐるみやマスクを着けたドーラー、そして唯一無二のフェティシズムや名前を付けられない欲望を抱いた人々が変態性という共通項のもとに集う。30年にわたり続いてきた『デパートメントH』のオーガナイザーであり、アメリカンコミックス・スタイルのイラストレーターでもあるゴッホ今泉氏に話を聞いた。


ーそもそもデパートメントH(以下、デパH)を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

あの頃(90年代初頭)はまだ日本にクラブが上陸したかしないかぐらいで、ディスコの方がまだ幅を利かせていたんだよね。僕は新しいクラブには詳しくなかったので、ディスコのようなところに遊びに行っていたけれど、なんとなく居心地が悪かった。

そんなときプラっと遊びに行ったニューヨークで、スザンナ・バーチのパーティーを知って。彼女のパーティーに行ったときに、自分が探していたようなパーティーはこれだと思った。それで、こんな空間が東京にもあればいいなと思って、帰国してから、彼女のパーティーを再現することは無理なんだが、できる範囲で何かイベントをやってみようと思ったのが最初のきっかけかな。

ーどうしてニューヨークに行きたいと思ったのですか?

当時、僕は東映動画でアニメーターをしていたんだよね。大学受験に失敗して、親から働きなさいと言われ、何をしようかと考えたときに、絵を描く仕事ならばやってもいいかなと思った。かといって、ぽっと出で絵が描けるわけでもないので、じゃあまずはアニメーションなんではないかと。それで自分はアニメをよく観ていたので、アニメだったら少しは知っていると思い、アニメ会社の門を叩きそのままアニメーターになった。それから10年ぐらい東映動画にいたんだよね。そのとき東映動画はアメリカのアニメの下請けもしていて、僕はアメリカのアニメの方が好きだからそっちのスタッフをやってた。

だけど30歳ぐらいになって、自分探しをしにニューヨークに行ったって感じ。なんでニューヨークだったかというと、マーベル・コミックがニューヨークにあったんだよね。それにマーベルのヒーローであるスパイダーマンやファンタスティックフォーやドクター・ストレンジは、ニューヨークに住んでいるの。だから僕にとってのディズニーランドがニューヨークだったってこと。

ースザンナ・バーチのパーティーに行くきっかけとなったのは?

単純にニューヨークにいる以上は遊ぼうと思って、半年くらいかけてニューヨークのクラブやライブハウス、ストリップ小屋をしらみつぶしに全部回った。その当時においては全て達成してると思う。

ー日本に帰って来られてからは何をしていましたか?

しばらくはまた東映動画で仕事をしてたけれど、アメリカの作品がなくなってしまい、やりたいものがなくなったので辞めちゃった。その後にフリーのイラストレーターになったけど、やっぱりすぐに一本で生きていくのは無理だったから、編集バイトも一年半ぐらいして、イラストだけで生活できるようになったのでバイトは辞めた。

ーその頃に最初のデパHを開催したんですよね。最初のパーティーはどのようなものだったのでしょうか。

よくみんなに聞かれるんだけどあんまりよく覚えてない。オーガナイズって交通整理だから、それに終始してそのまま朝が来てしまったという思い出しかないんだよね。一番最初はイベントも小さかったんですよ。70人ぐらいの規模で。最初はウメちゃん、サッっちゃん、DJのツガワエイジっていうのと、僕の4人でやってた。ちなみに、一番最初にシリーズでイベントを開催したのは大類さん(本誌ロゴデザインを手がけた大類信)のとこの乃木坂ディープ(「THE deep」)。大類さんは当時から眩しい存在ではあったよね。ウメちゃんが大類さんのところで働いてた縁で開催させてもらってた。僕自身は大類さんと会っても頭を下げるだけで、特別なことをするとか仕事をもらったりしたことはないんだけど。大類さんはもうその頃、ロッキング・オンのチーフデザイナーで、乃木坂ディープを持っていた。乃木坂ディープは昼間はギャラリーとして運営していて、大類さんがフランスから買い付けてきたフェティッシュ写真集を販売してたりしたんだよね。でも夜はどうせ使ってないからっていうんで、僕たちみたいにクラブイベントをやってる人たちがぼちぼち使っていた。

ーそういえば、この雑誌にコントリビューターとして参加してくださっているアーティストの花代さんも何度か出演したことがあるとおっしゃっていました。覚えていらっしゃいますか?

彼女は(かつて開催していた)渋谷O-WESTの楽屋の壁に大きく自分の名前をサインしていた。発見した僕は「これを消すまで帰るな」と言った。彼女は怒っている僕に驚いているだけで、「こういったカルチャーでしょ」とばかりに悪びれている様子はなかったけどね。芸者の彼女の方がミュージシャン気質で、アメコミイラストレーターのゴッホの方が日本人体質。

ーこれまで開催してきて、危機を感じたことはありましたか?

やっぱり渋谷O-WESTが深夜営業をやらなくなったっていうのが一番大きな危機だったかな。その後3ヶ所ぐらい転々として、現在のキネマ倶楽部に移った。その3ヶ所ぐらい転々とした時は青少年保護育成条例ができて、深夜イベントができなくなったんだよね。さすがに箱を変えるときは、2、3ヶ月休むことはあったと思う。

ーそれ以外はずっと毎月開催しているんですか?

そうだね。

ー30年間にわたり、続けられていると思うと本当にすごいです。他になにか大きな障害はありましたか?

いや、ないかな。目下の障害は、僕が60歳になったので徹夜がきつくなってきてるってことだけどやっぱり法律が一番どうしようもないよね。

ー法律は遵守されるんですね。

だって法律遵守してた方が面倒臭くないじゃん?

ーデパHに行って思うのが、アングラなんだけどいわゆる違法なものとか薬物が蔓延しているとか危険な感じはあんまりしない。

薬物を僕はやるべきでないって言ってるんだよね。ここでやられたらみんなが迷惑するので、それはおやめくださいって感じです。まあ言うならば、パンクをやっててもいいけどパンクの人が挨拶できなかったら次の仕事はもらえないよねっていう。だって例えばめちゃめちゃうまい絵描きがいたって、スケジュールを守らなかったら仕事取れないよ。

ー現在はどんな運営形態なのでしょうか。

基本的に僕がいて、注意をしたり喧嘩の仲裁とかをしている風紀委員が五人程いる。それからキャッシャー、女の子たち、タイムキーパー、DJ、(ドラァグ)クイーンたちがいる。全員スタッフというのであれば30人規模になるけど、どこまでをスタッフとして考えるのかによる。

ー司会を務められていたオナン・スペルマーメイドさんは、いつ頃からデパHに関わられていたんですか?

オナンちゃんは結構長かったと思うよ。20年ぐらいじゃないかな。最初は多分ホッシーっていうクイーンが連れてきたんだよね。(同じく司会を務めていたドラァグクイーンの)マーガレットさんがいたときも、オナンちゃんと掛け合いをやってたわけだから、まあずっとだね。

ーパフォーマンスのブッキングはどういった指標で決められているのでしょうか。

本当はもっとバランスを取りたいこともある。例えば、僕がデパHで女性ストリップのショーと同じ数だけ男性ストリップのショーもやりたいと思っても、できる子がいないんだよね。男性でも脱げる子や踊れる子はいる。でも脱げて、踊りを作れて、かつ踊れる子ってなると本当に少ない。でもそこを無理にでも数を多くしていかないと、バランスが悪いっていうか、いつまでも女性ばかりが消費されるものということになってしまう。僕もそういう意味で男性ストリップっていうのを女子の数と同じだけ、デパHで揃えたいと思ってるんだけど、何分にもできる人がいないために成り立ちづらい。

ーそういったジェンダーバランスも考えられてブッキングされてるんですね。

うん。考えてるけどできるものとできないものがある。だってそもそもいなかったらできないんだから。あと単純に続けていく上で、所轄に目を光らせられないって意味でバランス取れてる方が良い。エロ産業のように見えるもの、もしくはそういったものと同列のようなことをしていると、所轄の目が光るってことだよね。

ーやはり法に触れることはしない、と。

やっぱり集団でやってると他の人に迷惑がかかるので、維持することを優先するとそうならざるを得ないんじゃないのかな。っていうか、僕は別にいわゆるヤバイことに、ヤバイこというのはちょっと定義が難しいけど、そんなに価値を感じてない。それは周りを巻き込まずひっそりとお楽しみください、と思うんで。

だからうちはね、ヤバそうなものがありそうでないんだよ。全身ラバーの人がぬるっといるとなんかヤバそうだけど、別にそれは本当にヤバイもんじゃないじゃん。それに風紀委員が注意してまわってるし、フルヌードのオープンショーがあるわけでもない。引っかかるところがないんだよね。多分普通のクラブの方がナンパと痴漢は圧倒的に多いよね。うちのナンパは「すみません、踏んでください!」っていうのだったりするので。

ー変態だから腰が低いんでしょうか。

そうね。マジョリティーは自分が間違っていないという前提で話をするけど、マイノリティは自分は間違ってるかもしれないっていう前提で話をするので、その辺の引き下がり状況みたいなのがまるで違う。

ーやはり長く続いてきたのは、そういったことを大事にされてきたからなのでしょうか。

単純にそれもあるし、あと僕は鈍いんだと思うよ。鈍いから打たれ強いんだよね。一度警察が入ると嫌になって辞めちゃうイベンターもいるけど、僕はちゃんと謝って次からきちんとやればいいじゃん、と考えるだけだから。あんまり精神的に傷ついたりするタイプじゃないので続けていられるんだと思うね。

ー鈍いとおっしゃられましたが、孤独や寂しさを感じたことはありますか?

全然ないんだよね。あるとしたら、小学校2年生のころ高熱で入院したときに泣いた記憶があるくらい。でもね、それ以外ない。

ー大勢の人が集まる場所を作られていますが、誰かといたいという欲求はないのでしょうか。

それは多分ゼロじゃないと思う。でも毎日毎日人と会ってると、自分のやるべきことができないので。パーティーで一ヶ月に一度、100人の友達に挨拶すれば、一ヶ月間誰にも会わなくていいわけでしょ。すごく効率がいいっていう考えでいる。

ー全く誰にも会わないんですか?

全くってことはないけど、大体それで済むよね。そうすると、あとは孤独でいられるじゃないですか。やっぱり物作りって孤独じゃないとできないと思うんだよね。みんなで作るものもあるけど。あと大きいものは集団じゃないと作れないので、それを否定する気は全然ない。ひとまず無数の消化しなきゃいけない積みコンテンツ、まだ読んでない本とか見てないビデオ、をたくさん抱えているのでそれをコツコツ消費するのが好きだね。

ー今は遊びに行かれることは?

ほぼないね。

ー今までのデパHで特に変態だと思った人はいましたか?

チンポからパチンコ玉を5つ出した人じゃない。あとはほぼ全裸の女の子が股間からキューピー人形をぶら下げていたのがすごかった。キューピー人形に紐をつけて、その先にタンポンが付いていて。しかもそこそこ可愛い女の子なんだよ。あれは何がすごかったかっていうと、誰も近寄らなかったこと。普通は裸に近い女の子がいたら、うざいのが周りを取り囲んだりする。でもやっぱり異様だったんだね。彼女の周りだけ輪ができてたんだよね。あれはなんともいえない迫力だった。独特の危険なオーラを放ってたんじゃないかな。それを変態と言っていいのかどうか分からないけど、印象に残ってる人物だよね。

ーゴッホさんの考える変態性とはなんでしょうか?

ゼンタイ(全身タイツ)フェチの男はゼンタイ女性とスリスリしたい。だがそんな奇矯な女の子は数少ない。仕方ないのでゼンタイの男同士でスリスリしている。ゼンタイを着ていれば男でも構わない。フェチズムが性を越境している。例えばそんな時。

ー(笑)。そういったさまざまな人がデパHに来る理由はなんだと思いますか?

難しいよね。そもそもクラブって半分ぐらいの人はナンパのつもりで行くと思うんで。僕は出会い系アプリをやってないので分からないけれど、出会い系アプリが登場したことによってナンパの場はもうクラブじゃなくなってきてるのかなと。だから、もうクラブっていうスタイルは基本的に前時代のもので、前時代のものが好きな人たちが集まってると思う。ただみんな得手不得手とか好みはあると思うので、なくなりはしないだろうけど縮小していくんだろうね。

ー以前デパHで、「毎月デパHに来るために生きている」と語る人に会いました。デパHを心の拠り所にしている人もたくさんいると思うのですが、毎月開催し続けてこられたのは、そういった人々への責任を感じられるからでしょうか。

いや何もないね。そんな責任を感じてたら大変だよね。だって責任を負いようがないし。来てる人全員の思いを受け止めるほど僕は度量が大きくないので。

ーでは続けられている理由はなんでしょうか。

個人のマイクロメディアを持ち続けたいからかな。例えば今だとTwitter(X)やブログとかインターネット上で代弁できるものだと思うんだけど、僕はインターネット以前の人間なので。別に壁新聞でも雑誌でもフリーペーパーでもよかったけど、たまたま僕にとってはそれがクラブパーティーだったっていう。

ー来る人への責任は感じないとおっしゃいましたが、もし来る人がいなくなったら?

そりゃなくなるんじゃないのかな。例えば神がいたとして、神のパワーソースは信者の数と一緒だから、信者の数が多い神が最も強力な神で、信者の数が少ない神はほぼ存在しないも同然でしょ。それと一緒で要はパワーソースの問題だよね。誰も来なくなったパーティーのパワーソースはゼロでしょう。

ーなるほど。神様はいると思いますか?

いるわけないじゃんそんなの! 馬鹿馬鹿しい。ああいうのはね、擬人化概念体っていうんだよ。ただ、もしいるとすれば、さっきも言ったように信者の数によって神の力っていうのは定まると思うので、信者が少なくなった神は弱くなるし、信者が増えた神は強くなるってことだよね。

ーデパHというパーティー自体が一種の祀りあげられた神様みたいなもの?

祀り上げてくれてる人にとってはそうかもしれないけど、僕自身は祀り上げられるのが苦手。まあデパHと僕は一緒なのかというと、一緒のような部分もあるが僕個人は僕個人にすぎない。例えば、僕はスイングジャズのイベントをやったことがあるんだよね。デパHのゴッホ今泉がやるっていうんだからちょっとは人が来ると思ってたんだけど、誰も来なかったよ、うん。同じオーガナイザーがやっても別のイベントだったらダメだった。なので、やっぱり僕とデパHは重なる部分はあるかもしれないけれどイコールじゃない。デパートメントHはデパートメントHなんだよね。

ーデパHの今後の展望はありますか?

それは全然分からないね。ある日嫌になってやめるかもしれないし、無理くり続けるかもしれないし。こうしなくてはいけないみたいなものもないので。ひょっとすると、始めたばかりの頃の方がそういう理想があったような気がするけど、30年近くイベントをやり、ひたすら調整役をやってるとよく分かんなくなってきちゃって。でも僕は昔からきりっと何かをやって終わるよりも、ダラダラ長く続けるのが得意な人だったんで、きっとそんな感じで続いていくんだろうね。