Issue 1, Spring 2024 – Writings
どこへ行こうと影のようについて来るこの寂しさ*
カナイフユキ
大学進学のために上京する少し前、映画『ロスト・イン・トランスレーション』を観た。大学を出たものの定職に就かず、夢や目標もなく、なんとなく夫の日本出張について来た若いアメリカ人女性の主人公に、僕は自分を重ねた。夫が仕事に出かけた後のホテルの部屋に「置き去りにされた」あの感じ。身に覚えのある感覚だった。
上京後にも渋谷のスクランブル交差点を歩きながら彼女のことを考えた。 僕には病弱な兄弟がいたので、自分は親に迷惑をかけまいと大人しくまじめな子供を演じ、そのまま急かされるように大人になった。人とは違うセクシュアリティも小さな頃から自覚していた。そのせいか、ときどき世界中が自分を置いて、出かけてしまったような感覚に陥る。誰も自分を誘ってくれず、見つけてさえくれないのではないかと怖くなる。 幸か不幸か、東京ではゲイの男たちはいつでも相手を探しているから、求めれば誰かしらには会える。でも、誰と肌を合わせても埋まらない寂しさもあるのだ。
人は家(ホーム)を得て初めて旅に出られる。家を持たない人にできるのは放浪だけだ。 パートナーがいるときには、彼の部屋を出て自分の部屋へ帰るとき、心地良い寂しさを感じる。でも、心に寂しがり屋の子供を抱えた人間は、しばしばそんな関係を長続きさせられずに自ら進んで壊してしまう。どこへ行こうと影のようについて来るこの寂しさと上手く付き合う方法が、いまだによくわからない。いっそのこと、仲良くなれればいいのだけれど。