Japanese

Issue 1, Spring 2024 – Writings

孤独はどこにいったのか

Sogo Hiraiwa

ひとりが好きだ。大勢も嫌いではないけど、ご飯を食べるのも、映画を観るのも旅行をするのも、ひとりのほうが気楽で落ち着く。だから、ソーシャルメディアとかはけっこうだるい。とはいえ、まったくやらないわけでもない。仕事と社交のために、それなりの頻度でやっている。この「ソーシャル」というのがクセ者だ。

そもそもホモ・サピエンスが言語というメディアを発明したのは、社会的なつながりをつくるためだったと言われている。ネアンデルタール人も言語を使えたようだけど、ホモ・サピエンスの共同体のほうがネアンデルタール人の共同体よりも規模が大きく、それゆえ繁栄が可能となり、これを読んでいるわたしたちに至るまで繁栄を続けてきた。現在ではテクノロジーの発達によって、個人で扱えるメディアも格段に増え、人びとは写真や動画を使って日々コミュニケーションを図っている。人類は進化の過程で使えるメディアを増やしながら同時に、少しずつ社会性の度合いを高めてきたのだ。そのほうがきっと栄えるのだろう──人口的にも、経済的にも。

人間は誰もひとりで生きていくことはできないし、寂しいときや弱ったときは誰かに頼るべきだ。でも、今はあきらかに過剰接続(overconnect)だ。企業にとってもそのほうが広告収入やビッグデータを得るのに都合がいいのだろう。

ひとりでいても、つねにソーシャルメディアに接続することを促される時代、それが現代なのだ。そこには寂しさ(loneliness)こそあれ、孤独(solitude)はない。孤独はどこにいったのか。孤独はいまや絶滅の危機に瀕している。